
最近の「ゆとり教育」とやらの議論を聞いているとたまに頭に来ることがある。
そもそもの出発点は暗記ばかりで知識と事務処理のみに偏重している現状から、思考力のある、個性豊かで多様な人間を育てようというのが出発点ではなかったのか・・・。
すなわち、バグのないパソコンのような人材を育てるところから、そのパソコンを使いこなせるような思考力のある、個性豊かで多様な人材を育てるところに教育行政を方向転換しようとしていたとすれば、その問題意識自体が間違っていたとは思えない。
思うに、ゆとり教育の本当の問題点は知識の詰め込みに代替しうる方法論を親や教師も含めて教育現場で子供たちに提供できなかった点にあるのではないだろうか・・・。
つまり、教育現場の大人たちが、「ゆとり」の文字にかまけて、自分たち自身が考えることを放棄してしまったところに本当の問題点がある気がしてならないのだ。
子供たちに「考える力」をつけるのは実は簡単だ。
大人たちが考える力をつければよいのだ。 子供たちは常に大人社会の鏡である。
そうすればきっと子供たちも考える力をつけてくれるに違いない。
大人たちはいい加減、自分たちの認識の欠如と思考の怠慢を改めるべきではないのか・・・犠牲者は常により困難な将来の時代を担う子供たちなのである。
なのに、今度はまた授業のコマ数を増やすことで、この問題を摩り替えようとしているように思えてならない。結局、より一層詰め込み偏重に逆戻りしないでもらいたいものだが・・・。
子供たちよ・・・大人たちはかくも無責任で、自分たち自身の問題を子供たちに押し付けることによって責任転嫁しようとしているのだ。こんなことに惑わされてはならない!
声を大にしていいたい。
君たちの可能性は無限である! 大人たちよ・・・もうよせ、こんな事は・・・(高村光太郎風に・・・)。
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