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これからの教育に必要なことは?
2007/09/25(Tue)
primary education

 ゆとり教育の弊害が叫ばれて久しい。夏休みが短くなったという話も聞く。これからの教育について僕なりに考えてみたい。


 ゆとり教育は是か非か? この話題をニュースで聞く時、日頃から違和感があったのは僕だけだろうか。どうも争点がずれている気がしてならないのだ。この問題は、教育とは何かという答えのない大問題を避けては通れないのであるが、文科省の役人から現場の教師に至るまで、教育とはある種の「型」を押し付けることに拘泥してしまってはいないだろうか。

 確かに、「型」は大変便利なものである。長い時間を経た先人の賢と愚が詰まっているわけだから、一聞の価値はあろうし、現場の教師にとっては効率的でもあろう。悪い見方をすれば、教師にとっては恣意的判断を抑制する効果はあろうが、その型に終始して創意工夫をめぐらせなくなりうる非常に危険な題材でもある。とはいえ、従来から「読み・書き・算盤」と言われるような基本的な学力については論を待たないであろう。

 しかし、争いあるところだが、子供達が生きていくこれからの時代は明らかに大人たちが生きて来た時代よりも遥かに困難なはずである。例えば、100m走のタイムでも、50年前よりも今の方が明らかに早いではないか! 体操の技だって、明らかに現在の方が複雑である。

 戦後の復興期を経て便利なモノが巷に溢れ、大人達は便利になったと感心すると同時に今の若者は昔のモノがなかった時代の苦労を知らないと嘆くのが常であるが、これは僕に言わせれば大いなる勘違いである。

 スポーツに限らず、例えばネットについて考えてみても、以前のネット黎明期の頃は就職活動など、ネットを使えることは明らかに有利であった。郵送するのとネットやメールを通して会社にアピールするのとは大きな違いがあったと言わざるをえない。つまりはネットを使えることは、大いなるアドバンテージだったのである。

 ところが、ネットが普及して一般化してくると事情は異なってくる。誰もがネットを使うことが「当然」になってくるため、今度は「ネットを使えないこと」が大いなる不利になってしまうのである。この一般化の目安は「12%」とも「16%」ともいわれ、諸説あるようだが、ともかくこれを境に、「ネットが使えること」が有利だった時代から一気に「ネットが使えないこと」が不利になる時代になってしまうのである。

 この間、就職活動する人のスキルは従来の場合よりも一層高度化したと言わざるをえないだろう。もっとも、人間の本質的な潜在能力には時代によってそれ程大差ないので、ネットを使えるようになった分、それだけ礼儀に沿って手紙を書くスキルなどは軽視されてしまうことはやむをえない。

 かくして若者そして子供達に求められる能力は日々複雑化し、高度化する。人間は大なり小なり、社会的マーケットの需要に合わせてスキルを磨いて自らを他と差別化することで機会を得て経験を積み、能力を発揮して生きていくわけであるが、ネット一つを見てもわかるように、自らを他と差別化しうるまでに必要となるスキルは明らかに日々レベルアップする。

 大人達にとって進化し続けるパソコンはいまだに厄介ではあるものの、「便利なもの」として認識されているであろうが、物心ついた頃からパソコンが身近にあった子供達にとってはそれはもう「既にある」いわば「当たり前」の道具なのである。その事は即ち、常に従来以上の「プラスα」を求められることに他ならない。そしてネットの進化のスピードは、歴史上のどの業種とも比べ物にならない程の早さなのである。

 今の若者は卵も割れないとかナイフで鉛筆も削れない、とかを嘆くような声もあるが、彼らはパソコンも使えれば携帯を自在に操れるのである。ただし、卵を割るのとパソコンを使うのとどちらが大変かと言われれば、これまた争いある所であろうが、使えるようになるまでに覚えるべきことと機能の複雑さという点では明らかにパソコンの方が厄介な代物である。

 もっとも、ネットに限らず、先述した根源的な社会的マーケットの需要自体が流動的であるので必ずしも人間が予期した通りには進まないのが人間社会のおもしろさでもあるわけだが…。このように、例外もあり、流動的ではあるものの、概論的には若者の生きていくこれからの時代の方が、大人たちが生きてきた時代よりも大変な時代であると言えるであろう。そして、これからの教育という問題もネットという前提を基に考えてみたいのである。



 高度成長期からバブルが崩壊し、ネット普及に至るまで、日本の教育は大まかに言って、エラーのないパソコンのような人間を「頭がいい」と信じて生産しようとして来たといえないだろうか。

 つまりは、莫大な量の知識を詰め込み、時間内での正確な事務処理をこなせる人材を作ろうとしてきたのではないだろうか。かつては、「ウォーキング・ディクショナリー」等という今や死語ともいえる言葉がもてはやされていたのもその端緒だと思われる。

 しかし、今後はこのような知識の蓄積と事務処理はパソコンが人間を超えたスピードでしてくれるのはほぼ間違いあるまい。とすれば、これから必要とされるのはそのパソコンの高度に蓄積された知識と事務処理能力を的確に使いこなせる人間が必要になるのではあるまいか。



 そもそも戦後から今に至る教育は大量生産・大量消費を前提とし、欧米に追い着き追い越せを目指した今や過去の産物である。大量生産大量消費や欧米の経済レベルなど目指すべき目標が明確な内であればある程度は機能するであろうが、今やエコとロハスが叫ばれ、欧米と肩を並べるどころかむしろ途上国に追い上げられる先の見えない時代である。そこで求められる教育も自ずと質的に異なるのも当然といえよう。

 従って、読む・書く・加減乗除など最低限の初等教育はともかくとして、これからはパソコンに蓄積された知識と事務処理能力を使いこなす方に教育の重点を移行させていくべきと考える。

 

 もっとも、最低限の初等教育とは何かという点にも争いがある所であろう。先日アメリカニューヨークのブルームバーグ市長が言っていたことであるが、パソコンが発達してきたこれからの時代に重要となるのはより基本的なコミュニケーション能力である。人の話を聞き、理解して、自分の頭で考え、意見を述べる。口下手で恥ずかしがり屋の多い我々日本人には少々耳の痛い言葉ではある。そこで、最低限の初等教育にはこのようなコミュニケーション能力なども含めて検討する必要があろう。

 

 答えのない、そして答えを探し続けなければならない難しい教育問題ではあるが、以上見てきたように、初等教育のより一層の充実と、パソコンに蓄積された知識と事務処理を使いこなせる能力を育む事の2点が今後の教育の重要課題であるというのが僕の考えである。

 

 ゆとり教育の弊害の声を耳にするたびに、同調できる部分もあるものの違和感を覚えていた僕に言わせてもらうならば、若者そして子供達は大人を越えてよりこんな時代に生きていくのである。そして、誰かが言っていたように胎児は本来的には天才なのかもしれない。

 

 国の舵取りをする人達から現場の教師の方々に至るまで、そんなダイヤの原石をどうか先人の知恵をうまく活用し創意工夫をめぐらせて、いい方向に導いてあげて欲しいものである。 





ツカサネット新聞より
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=5723







最近どうも不調です(笑)。




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なぜ総裁選は退屈なのか
2007/09/15(Sat)
boring

先の参院選で十分な民意を得られなかった与党の狂い咲きのお祭りが始まる。そう、自民党総裁選だ。

参院選で敗れたとはいえ、与党は衆議院では過半数を有するので、内閣総理大臣指名で衆議院が優越する現行憲法上は、自民党の総裁はそのまま我が国の総理に座に直結する。今頃、永田町のあちこちで電話と密会が繰り返されているに違いない。現在ではもう消滅したそうだが、以前は実弾(要は現金)まで乱れ飛んでいたとか…。

とはいえ、はっきり言ってしまうと「退屈」である。それはもっともな話で最大与党とはいえ、自民党に縁のない人には全く無関係なお祭りであると言えるからだ。つまりは公的な宰相の座に直結するものの、極めて私的な政党という「内輪」の問題に過ぎないのである。

一国の宰相の座に関わる重要事項としてここ数年は国民にもわかりやすいオープンな形で…が合言葉ではあったが、昨年の総裁選などを思い浮かべてみてもどうも争点がはっきりしない。そもそも争点自体が存在するのかという感すらある。

まとめてみると…

 1、国民生活に直結していそうではあるが、実は厳密には無関係な「内輪」のお祭りに過ぎない。
 2、争点がはっきりせず、具体性を欠くために国民的な関心事足りえない場合が多い。

の2点が、自民党総裁選が退屈に思える根本的な理由である。つまりは助成金などで国民の税金が投入されているとはいえ、本質は近所のサークルの人気投票の延長のようなものである。またしても全国遊説とやらで絶叫口調の名前の連呼と、決まりきったお経のような演説を繰り返し繰り返し聞かされるのかと思うと、少々心もとない心境になってくる。

これで良い訳がない。

直接的には関係していないとはいえ、我が国の総理の選出に直結する重要事項だ。もう少し興味深い内容にできないものか…。

この点、総裁選は数字で語れ! を提案したい。

つまりはどれ程優れた理念であれ、政策であれ、予算の裏づけのないものは所詮絵に描いた餅である。場合によっては、円グラフを持ち合ってもいいだろう。余程経費を削減してうまく財源を捻出できない限り、ある政策に重点的に取り組むことは他の政策を軽視すること、つまりはそこの財源を削減することに他ならないはずだ。

現行の予算の使用状況を示した円グラフをもとに、各々の候補者が独自に円グラフを作成し、財源を明確にした上で、私なら何を何%増やして、何を何%抑制する…といった具体的な議論を喚起することで国民の関心を呼ぶことはできないものだろうか。

ようやく小泉政権の「骨太の方針」で官僚中心から官邸中心の本来の形へイニシアティヴが移りつつあったのに、民意を経ず、省庁の都合の限界を超えられない官僚主導に戻してしまったのでは元の木阿弥である。

確認しておきたいのだが、憲法上、行政部門はなんら明確な立法権限を与えられてはいない。立法権は本来的には国会こと政治部門の専権事項なのである。行政部門は元来、法律の執行義務を負っているに過ぎない。なのに、7割以上の法律が省庁から内閣の名義で法案として提出されて国会はそれを追認するだけという、国民主権を背景にした民選の政治部門としては真にお粗末な現状なのである。

この辺りは戦後復興を遮二無二急いだ我が国の根源に基づく歪みなのかもしれず、近代民主主義国家としては国防も含めてようやくスタート地点に立ったに過ぎないのかもしれないが…。

もっとも、自民党としても国民的レベルで興味を持ってもらえなければ次の政権も支持率が期待できず、ますます苦しい立場に追い込まれることから何とか盛り上げようと必死であろう。

「自民党の問題=国民の問題」にすり替えて、「次の総理=国民の総理」のイメージを刷り込み、ひいては「自民党=国民の政党」のイメージを刷り込むことで、最終的には政党への支持率の基盤強化を図ろうという政治的戦略が見え隠れする。

ともかくも、具体的な争点のある実りある総裁選を期待したい。とりわけ現場のマスコミの皆さんには獅子奮迅の活躍をお願い申し上げたい次第である。我が国のリーダー選出に直結しうる重要な問題を、サークルの人気投票に終わらせないためにも。



ツカサネット新聞より
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=5469



最近柄にもなく政治じみていて内容がしけてるなぁ〜ww。

次は久しぶりに本来のお茶らけ路線を狙うぞ(笑)。


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アメリカ同時多発テロの日
2007/09/12(Wed)
wtc

いよいよ更新が滞って来たではないか・・・。

 う〜ん・・・。

 アメリカの同時多発テロの日にちなんでちょっとシリアスに書いてみるのもいいかなと思っていたのだが・・・。



 いよいよイッチョ前にSNSの方も少し動きが出てきたのだ。喜ぶべきことといえば喜ぶべきなのであるが・・・。

 まだまだ出来たてで小規模ではあるのだが・・・予測しないことになってきている。



 妙な海外営業(?)もどきを繰り返しているうちに、海外からの利用者が増えてきて、慣れない英語で対応してはいるのだが、いかんせん貧弱な僕の英語力では限界があり、あれこれと時間を浪費してしまっている状況なのである。

 アメリカ、イギリス、オランダ、インド、オーストラリア、タイ、ラオス、バングラディシュ、韓国、ナドナド・・・グルジアなんて聞きなれない国もある。それ程までに日本熱が海外で高まっていることに今更ながら驚かされる。

  もっと英語を勉強しておけば・・・と泣き言を言いたいのだが、それよりも英語で海外の人と交流してもらえる人を探すことが急務のようだ。



 どなたかおられないだろうか・・・。



 興味のある方がおられれば、是非ご協力いただければ幸甚である。たとえ上手くなくてもいい。英語が苦手でもいい。

 活字主体ではありますが、とにかく英語で海外の方とコミュニケーションすることに興味のある方がいらっしゃればどうかこの場を借りてご参加の程よろしくお願い申し上げます。





 それにしてもアメリカの同時多発テロはなんだったのだろうか・・・。





 アメリカはテロとセキュリティに過敏になり、軍事費が増え、核査察問題は棚上げのままイラク攻撃が始まり、安保条約の日本も他国同様に巻き込まれ、自衛隊の派遣と憲法論争が起こり、憲法改正論を掲げた安倍内閣は、憲法論とは別の所から参院選で大敗し、公約だからと給油問題に政権をかけて取り組むのだという。もはやアメリカ以外の国はとっくに撤退しているというのに・・・。

  これを肯定するには、アメリカの核を中心とした軍事力の傘の下に入り続けるためにはここでアメリカのご機嫌を損なわないことが国益にかなうという前提があるのだろうが・・・。

 つまりは莫大な予算と引き換えであっても、今まで同様にアメリカの軍事力の傘の下に入り続けている方が日本にとって得で無難だという考え方であろう。



 言うまでもないが、これは確かに余りにも判断が非常に難しい問題ではある。そしてそうかと言って、無視することもできない問題でもある。



 仮に、安保条約を破棄して、アメリカの核の傘の下に入れなくなった場合、日本としてはどういう手が考えられるだろうか・・・。

 まずは、ガンジー主義で徹底的に非暴力・不服従で押し切るという考え方もあろうが・・・恐らくそこまでの聖人君子のような、ある種マゾヒスティックな選択肢は実現可能性は低いと言わざるをえないだろう。敵が攻めてきても、なすがまま、されるがまま、で何もしなくて耐えるのみ・・・というのはちょっと国民的な賛同が得られにくいに違いない。

 次に、軍隊を本格的に再編成するとした場合、今の軍事力のままでいいのかという問題がある。予算的にはすでに世界有数の軍事力を有するのだから、ひとまずこれで良いという考え方もあろう。

 だが、それでも核開発の議論が起こるのは免れまい。「自衛のための核武装」という恐るべきレトリックが出て来そうではあるが・・・。

 そもそも、800兆円を超える借金大国のまま超少子高齢化社会に突入するわが国に軍事力を再編成したり核開発したりする経済的余力があるのかどうか・・・。  

 もちろん、憲法改正に伴う人的・物的その他諸々のコストも相当なものとなるに違いない。



 話が変わるが、一つ確認しておきたいことがある。



 僕も大学時代になるまでは知らなかったのだが、いわゆる「専ら自衛のための戦争」は英語の憲法草案の段階では決して否定されてはいなかったということだ。これは意外な気がした。ニューディール派のリベラルな若い法律家達も非武装中立のような理想郷を日本に現実的に求めたわけではなかったようである。僕も以前は憲法は日本に非武装中立の理想郷を求めているとばかり思っていたのだが・・・。





 そんなわけでどちらも決定的な選択肢となりえず、また別の決定的なアイデアも出せないまま、冷戦終結後はアメリカが日本に求める軍事的貢献レベルも強くなってきているとはいえ、ひとまず従来の安保体制の枠組みを維持してアメリカに同調しているわけであろう。

 アメリカが国際的に節度を保って行動してくれているうちはまだしも、テロでヒステリックになって暴走している現在のような場合は、とりわけアメリカのエゴがむき出しで目に余るようにも思える。

 日本も弟分でかわいがってもらってきたとはいえ、アメリカに「ちょっと兄さん、頭冷やしてみたらどう?」位は言ってみてもよさそうなものだが、今まで一方的に甘えてきた以上はここで少々無謀でも兄貴の味方をしておかないと、逆に逆恨みされるのも怖い・・・という焦りが日本のお偉方にはあるような気がする。

 アメリカの軍産複合体といわれる業界は公共事業に依存する日本の土建屋を越える恐ろしく強固な組織であり、その規模やレベルも比べ物にならないらしく、とりわけ共和党はその傾向が強いらしいのだが・・・。



 とはいえ、私見では本質は別の所にあると考えている。以前にも書いたように、恐らくこの国は、軍事力という最大の国家的暴力を上手くコントロールする自信がなく、その背景には先の大戦時に、日本がなぜ軍事力という最大の国家的暴力を上手くコントロールできなかったのかという分析やら原因やらが掴めていないことがある気がしてならない。

 お隣さんが核ミサイルを振り回して恐怖の外交戦略を行っているときに、果たしてわが日本はどこまで冷静に長期的スパンで国防を考えられるであろうか・・・。

 拉致問題が暗礁に乗り上げたまま、日本の首脳が多額の税金を使ってむなしく北朝鮮旅行を繰り返しているうちに、 日本を6ヶ国協議のテーブルの端の方に追いやってアメリカを相手にしたたかな外交戦略を打とうとする北朝鮮の思惑が見え隠れする。



 他方、さしあたりアメリカに同調することが賢明な選択肢であるとしても、いつまでもアメリカに自国の国防問題を委ねたままにしているのも国家として健全ではない気がする。

 とすれば、その切り替えの時期はいつか・・・。

 戦略としては、アメリカの同調して歩調をあわせつつ、日本は着々と自国の国防力を養おうとするに違いない。それが例えアメリカの要求だとしても、アメリカも自国の景気の見通しがよくなければ一層日本の軍事力強化を望むはずである。冷戦が背景があったとはいえ、もうアメリカも宇宙ロケットをバンバン飛ばせるほど余力はないはずだ。

 近代国家として考えてみると確かに自国の国防を他国に委ねているのは奇異にさえ思えなくもないのだが・・・。



  いずれにしても防衛力強化の方向性は必至なのではあるまいか・・・。



 その前提に先の戦争の分析を進めるとともに、他方、莫大な国の借金と超少子高齢化社会での先行き不安もある。

 また、北朝鮮の問題は早期に解決しそうにはないし、国力をつけてきた暁には中国やインドなどもいずれは軍事力強化の方向性をたどるに違いない。

 いずれにしても未曾有の困難な時代になるに違いない。国防を他国に委ねたまま自国のことに集中できたこと自体が奇跡であり、幸運だっただけかもしれないが・・・。



 とはいえ、頭を切り替えることができれば超えられない問題ではないと楽観視している。 黒船来航から10年ほどで国会体制を改めるという世界史的な奇跡を成し遂げた国である。

 その変わり身の早さ、柔軟性、潜在力は計り知れないに違いない。



 そうは言ってみても、

 「じゃ、お前鉄砲持って上官の指示通り戦場に行って相手を殺せるか?」

 と言われればもちろんそんな自信は毛頭ないし、したくもない。今後、それをさせるための数々のレトリックとプロパガンダ、業界の圧力と戦争を肯定する教育が有形無形に行われるのだろうと思うとぞっとする。

 次回の「錦の御旗」は「国連」だったりするのだろうか・・・。

 
 毎度のことながら話が広がりすぎてしまった・・・笑。

 僕のない頭で考えた所でいいアイデアが出るわけではないし、どうなるわけではないのだが・・・どうしても気になってしまう問題ではある。



 長々とまとまりなく書いてしまったが、今回はこの辺でいい加減やめよう。そろそろ酒が回ってきたのかも・・・(笑)。



 ひとまずサッカーでも見て「おしりかじり虫」でも聞いて眠るとするか・・・(笑)。




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Japanimation
2007/09/08(Sat)


 


 少子高齢化が叫ばれる昨今、いったいどれ程のものかと総務省統計局のウエブなんぞを覗いてみた。


http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2006np/index.htm


 こりゃ〜深刻だわ・・・と改めて感じる。2006年時点で日本の場合


 


0歳の人口は77歳の人口並み


 


 ではないか・・・。確かにこれではシャレになっていない・・・。 まるっきり


 


ピラミッドになっていない 


 


 どころか、


 


頭でっかち尻すぼみ


 


 に近い状態である。で、以前にも書いたのだが、結局有効な施策を打てないままじりじりと時間だけが過ぎて状況が悪化している。それにしてもいったい誰なんだよ〜世代間で社会保障を担保させることにしたヤツは・・・。


 


責任者出て来〜い!


 


 と伝説の漫才師のようにぼやきたくなるというものだ。 実は責任を分散させてしまうシステムこそが日本の行政のお家芸であり、長所であり短所でもありそうだが・・・。


 それにしてもこの統計局のウエブはなかなか見てて楽しい。「国の健全度はその国がいかに統計的指標を独立公正な立場から作れるかどうかにある」と指摘した方がおられたが、その点ではまずまず合格点だと思う。もちろん、恣意的に強調の度合いが異なるのも見られるが、その観点からは余程日本のマスコミの方が不健全に思える。


 ただこんな考えも頭をよぎる。


 マスコミは売れる記事を書くわけだし、政治家は国民に評価されようとするわけだから、結局マスコミや政治の問題はそれを評価する国民の問題に帰結する。


 そう考えるとちょっと憂鬱になってくる。景気回復の際には増税とハイパーインフレが待っているのだろうか・・・。欧米諸国のデータによると消費税が15%を越える辺りになると、逆に消費が落ち込むらしいので日本も10〜12%辺りまでは行くのだろうか・・・。


 


 


 話を変えよう。 問題はこの国がこれから「何で食っていくのか」という観点であり、それこそが重要であろう。


 世界に目を向けてみると、私見ながら、このアジアの小国は相当うまくやっている方だと思う。諸外国の日本に対するイメージはおおむね相当良い。何かのデータで見た記憶があるのだが、日本はかなり上位だったような・・・。これは僕達の先輩方が誇りを持って汗水流して頑張ってきてくれたおかげかと思う。 


 とりわけ近年、若年層を中心に日本に対する興味・関心はうなぎ上りになっている気がする・・・言うまでもないが、漫画・アニメの影響である。


 


 かつては日本でも「ツッパリ」などと言われる少年達が跳梁跋扈していたはずだが、今やどこへ行ったのやら・・・。はっきり言って今や死語であろう(笑)。


 私見ながら、若年層を中心に反体制のファッションは黒人文化の影響を免れている所は世界でも少ないのではないのだろうか・・・。日本も今やその例外ではないと思う。つまりは、




黒人文化が世界の若年反体制文化を席巻している




 と言っても過言ではないのではないか・・・。もちろん所詮はサブカルチャーと言えばそうではあるのだが・・・その浸透力たるやもはや本カルチャー(?)とでも言えるほどの影響力である。


 もっとも、当人達に聞いた話には逆にそのイメージで迷惑している人もいるそうだが・・・(笑)。 


 


 同様に実は日本人が思っている以上に、世界中で




マンガ・アニメが世界の若年大衆文化を席巻している


 


のではないだろうか・・・。いや、もはや若年層に限定される段階ではないのかもしれない。いずれは外交レベルで各国首脳がマンガ・アニメの話題に触れた所、日本の首脳だけが知らなくて恥をかいた・・・なんて話も遠いことではない気がする。 


 


 文学や映画などに比べても日本での社会的地位はまだまだ高いとはいえないし、どちらかといえばいまだにサブカルチャー扱いなのだが、海外での評価は驚くばかりである。そういえば以前ルーヴル美術館に行った際、ルーブル美術館の地下に


 


マンガのコーナー


 


 がデカデカと確保されていて驚いた記憶がある。 数年前と比べると今はもっとスペースが大きくなっているに違いない。小説だって今でこそ


 


文学 


 


 なんていってデカイ顔(?)しているが以前は「戯作」などと言われていたそうではないか・・・。小説家になると宣言しただけで親不孝者で家を勘当されるような反体制色バリバリの世界だったはず・・・。


 


 そして、今や「秋葉原」は世界のマンガ・アニメファンの聖地と化しつつある。その情熱たるや時にイェルサレムを目指すユダヤ教徒と遜色ないのではないかと思えるほどだ(笑)。


 


 


 世界で若年層を中心にマンガ・アニメで日本への関心が急速に高まっているということは数十年後には


 


日本=萌え 


 


 となるわけである。これをどうとらえるべきか・・・笑。


 現段階では否定的に感じる方も多いかもしれないが、個人的には痛快に感じるし、その是非はともかく日本が今後しばらく食っていけるコンテンツ足るのではないか・・・。


 


 文明は西へと進むという。ヨーロッパ〜アメリカ〜日本〜中国〜インド、ロシアへと移り変わっているのかもしれない。 


 まだまだ日本の産業は堅調である。とりわけ自動車はいまだに日本が優位性を誇れる数少ない業種ではある。


 しかし、ハイテク・ナノテク・ロボット・・・どれを考えても余程のレベルを維持できない限り途上国に早期に追い着かれるのもあり得ないことではない。それでなくても日本は今後、相当深刻なレベルで労働力が確実に減少するのだ。 


 


 


 これからはマンガ・アニメとそれに伴う観光こそが日本が自信が持てる業種になるのではないかという気さえしてくる・・・。


 


 もっとも、スペイン人の中でその少数民族とも言えるジプシー文化に基づくフラメンコで自国のイメージが代表されることを迷惑に感じる人も多いのと同様、日本=マンガ・アニメになってしまうのもそれだけではちょっとどうかな〜と感じてしまうのも否めないが、少なくとも興味のきっかけに強烈なコンテンツを有しているのはわが国の大いなる強み足りえるに違いない。 


  


 「Japanimation」・・・という言葉があるそうな。


 いうまでもなく「Japan」に「animation」を加えた造語だが、世界でそんな風に日本が強くイメージづけられていることに自国のことながら驚かされる。 ただし、最近のアメリカなどでは「Jap」が侮蔑的な意味合いを含むとのことで「Japananimation」という言葉もでてきたそうだが・・・これでは造語にもなっていないような・・・笑。


  


 個人的にはマンガ・アニメが日本の代表するコンテンツたることに何ら異論はない。むしろ密かにそんな文化を持てることに誇りを持っている程だ。そして、その是非はともかくその流れはこれからも進むだろうし、今後はますますその重要性も存在感も増幅することはあっても減少することはないに違いない。 


 


 いずれは文学部同様、大学にも堂々と




「マンガアニメ部」




 があるのが当然となる日も遠くないのかもしれない。


 なんだか愉快な気分になるのだが、そうなるともはやすさまじい競争率に少年少女が苦しむことになるのだろうか・・・。


 それはサブカルチャーとしての生命線そのものを否定されるようでいただけないなぁ・・・。むしろサブカルチャーとしての地位に甘んじざるをえない、市井の雑多な生命力みなぎった現状だったからこそ元気な作品が生まれてきたのかもしれない。


 とはいえ、体制がそれを取り込まざるをえない日が来るに違いない。その時にいかにそれまでの野卑なまでの生命力を維持し続けるかがこれからの問題となるのではないだろうか・・・。


 


  


 少なくとも「美しい国-日本」よりも「萌える国-日本」の方が現実的だし楽しく感じるのは僕だけではないはずだ。 


 


 


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台風の楽しみ方
2007/09/06(Thu)


今年もまたしてもヤツがやってくる・・・。

激しくて傲慢で潔いさっぱりしたヤツ・・・台風だ。

実は不謹慎を承知で言わせて頂ければ・・・

台風大好き!!

である。被害が出たり、けが人や死者が出れば笑いごとでは済まないし、さすがに気の毒に思ってしまうが、

そうでない限り持論としては台風は

自然が織り成す究極のエンターテイメント

である(こらこら・・・ww)。

 これは恐らく僕自身がまともに台風の惨禍にあったこともなければ実体験したことがないことに基づいてるといってよいであろう。つまりはその恐ろしさを知らないわけである。

 とは言え、 恐ろしさを知らないうちからそれを実体験したかのごとく感じてしまう高尚な神経は生憎持ち合わせていない。

 要するに・・・楽しむしかない。ブラジルのサンバのようなものである(笑)。つまりは踊るしかない(笑)。

 以下、台風のエンターテイメント性について論じてみたい(ん?・・・笑)。いやむしろ台風の楽しみ方か・・・(笑)。但し、もちろん死者けが人が出たり被害が出るものは度外視して考えたい。

 まず、 特筆すべきは、地震や雷等の他の災害とは異なり、発達した気象情報のおかげで大まかな予測がつく点が挙げられる。これが所々外れるのもまたいい。これこそカオス理論だ(笑)。

「お!そろそろ来るな・・・」


なんてワクワクしてしまう。近づくに連れてどうしても気分が高揚する。いわゆる「ハイ」になってしまうわけだ。テレビで見る台風の目とやらの風貌もいい。一本気で激しそうないい面構えだ。

思えば、学生時代はみんなで集まってテレビで台風情報を見ながら酒を飲み、酔いたけなわで台風上陸の最も激しいタイミングを見計らって 外に飛び出す・・・なんてバカなことをしていた。けだし、当時の我々にとって台風とは

一種のスポーツ

であった。

次に、テレビ放送がまたいい味を出している。こんなときこそ公共放送の必要性を実感する。もちろんNHKをつけっ放しにする。深夜になってくるとだんだん放送もまばらになって来て実況放送は一時間ごとになるのだが、アナウンサーも次第に疲労の色が濃く出始める・・・。

「これでは朝まで持たないんじゃないのかよ〜」

「頑張れ〜おっさん!!台風に負けるな〜」

「このオヤジの頭の方が台風だろ〜」

・・・だんだん品のないリアクションになってくる(笑)。まるで昔の品のない野球場の酔っ払いだ・・・笑。

深夜一時・・・二時・・・三時・・・これではアナウンサーは朝までもたなさそうだしちょっとかわいそうじゃないだろうか・・・

なんて考えると・・・突然選手交代!!次のアナウンサーが出てくるではないかっ!!。金太郎飴でもあるまいし・・・笑。

よく考えると労働条件などを考慮すれば当たり前のことであったか・・・。しかしなぜか、台風情報となるとつい見てる方も熱くなってしまって、放送する側に「気合」だの「根性」だのを期待してしまっていたのに気付く。これは僕の一方的な思い込みというものであろう(笑)。

この辺り高校野球の選手に無理な連投をさせて大騒ぎで楽しんでしまう国民性のなせる業か・・・(ちょっと違うようなーww)。

 さらに、音楽は近所迷惑にならなければ大きめでかけよう。ビートの強いものかリズムの軽快なものがいい。

ロック、ラテン、サンバ・・・辺りがオススメである。個人的にはサンバをかけることにしている。嫌がおうにも気分は盛り上がってくる。この辺は個人の好みで気分が高揚するものを選べはいい(笑)。

 また、別な楽しみ方としては、商店街に繰り出す・・・なんてのも楽しい。「根性なし」で店を閉めるところもあるが、「気合一発」 でアニマル浜口御大のように頑張って営業している所もある。

「おお!頑張ってる!!」

こんな時に営業している店は信用できる(ホントかよ〜ww)。迷わず常連客になりたくなる。 それに、もし開いていればまずガラガラである。まるで貸切。気分は爽快だ(笑)。

思えば、以前高層ビルの20階のバーで200席以上の場所を二人で独占していたときは痛快であった・・・時折

ぶ〜〜〜〜ん

と微妙にビルが揺れるのが最高に心地よい。個人的には台風のときにデートするのもオススメだ(おいおい〜)。非日常的カオスを存分に楽しめること請け合いである。

大雨と強風の中、公園に出かけて傘をお猪口にしながら愛を語るのも楽しい(どんな神経だ-ww??)

 もちろん、自然のことだから、結果的に期待はずれなことだってある。

「なんだぁ〜大した事なかったじゃん・・・」

「今回の台風は根性なしだったよなァ〜」

だかそれも自然のことだから「いとをかし」というべきであろう。耽美派的ではあるがそれもまたいい。

 最後に、特筆すべきは台風一過後の爽快な晴天であろう。なんか根こそぎ掃除してもらったようで実に気分がよい。台風通過後の

カーン

と晴れ渡った青空に気分も晴れ晴れする。これだ!これがヤツのいい所だ・・・ww。さっきまでの暴風と大雨がうそのよう・・・。全く激しくて潔くてさわやかなヤツだぜ・・・。

 ちなみに、「台風一過」を「台風一家」と長年誤解されていた方はおられませんか?僕がそうでした(笑)。台風のように落ち着きなく、大雨暴風はあるものの最後はすっきり晴れ渡る・・・子供心に勝手にそう解釈していました。自分の家族は台風一家だ・・・といい意味で解釈していました(笑)。

 どんだけ〜♪。大人になってからも気付いていない勝手な解釈って結構あるもんですよネ(僕だけなのか・・・??)。



 以上不謹慎を承知で、台風シーズンの話の種にでも・・・(ならんか・・・笑)。


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広告媒体としてのYouTube
2007/09/03(Mon)
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 うだるような暑さだった8月も終わり、気がつくと9月で秋の到来です。窓からの風が心地よい涼しさに感じられるようになりました。もっとも、最近は季節の変わり目か不安定な天気が続いていますが・・・。

 ご存知のように秋というと様々な枕詞があります。読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・いずれにしても何かに取り組むには絶好に気候なのでしょうね。

 

  ここ数日は世界陸上で織田裕二氏を見ないと落ち着かない毎日が続きましたが、以前と比べると随分テレビをつけている時間が減ったような気がします。

 携帯電話、ネット、ゲーム・・・昔と比べると余暇の過ごし方も本当に多様になりました。力道山の街頭テレビの時代からは想像を絶するメディアの多様化に違いありません。



 そして今やネットの時代です。仕事も余暇もパソコンや携帯なしでは過ごせなくなってしまっている方も多いのではないでしょうか・・・。

 中でも僕が注目しているのはYouTubeなどに代表される動画共有サービスとmixiなどに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)です。

 とりわけYouTubeのおもしろさは今さら僕がここでとやかく言うまでもないでしょう。時に珍しい動画や探していた動画が見つかると「おお!」と叫び出さんばかりになります。子供の頃に見たかったコンテンツがあったりするとつい時間を忘れて見入ってしまいます。



 たまに不思議に思うのですが、人はなぜ情報や動画をアップロード、すなわち共有したくなるのでしょうか・・・。

 一人で楽しんでいれば十分という考え方もあるはずです。またプライバシーの観点からそのような性質のものもあるとは思います。

 しかし、人間には本来的に良いも悪いもある種の感動・衝撃を共有したいという欲求があるように思えてなりません。つまり、感動は共有することで増殖するのだと思います。そして恐らく悲しみも共有されることで軽減されるに違いありません。

 そう考えてみると、ネット上とはいえ本質的な人間のコミュニケーションは通常の場合となんら変わらないように思えてほっとした気分になります。当たり前のことですが、人間はネット上でも人間らしい交流を求めているのでしょうね。

 通りでYouTubeも隆盛するはずです。世界規模で感動を共有できるわけですからその規模は今までの有史以来のスケールを超えています。



 そのYouTubeですが、ご存知のように著作権の問題でかなりの訴訟に巻き込まれています。考えてみると、簡単にコピーできてしまうわけですから、作る側にとってはやってられないというのももっともに思えます。

 しかし、コンテンツの質はオリジナルよりは明らかに落ちますし、個人的に思い出してみても、YouTubeの動画をきっかけに興味を持ったり、思い出して買いに行った経験が数多くあります。



 いずれにせよ、ネットに費やす時間が増えれば増えるほど、テレビに費やす時間は減少します。つまり、テレビの優位性がどんどん崩れつつあるわけです。

 今更言うまでもなく、急速に人・金・モノ・情報はテレビからネットへ移行しつつあります。このことは、つまり広告費がテレビからネットへと急速に移動していることを意味します。

  すなわち、YouTubeやSNSは既成のメディアのビジネスモデルを壊しているわけです。このことは今までの既成のメディアにとっては面白いわけがありません。



 しかしながら、少々腹いせ紛れに新しいメディア勢の足元をすくってみてももはやこの流れが止まることは考えられません。多少の紆余曲折はあるにせよ、大勢に影響ないと見ています。

 それどころか、著作権問題のゴタゴタが一段落したら、そのうち完全な市民権を得て誰も文句を言わなくなるのではないかと推測しています。



 つまりはその広告効果です。



 そのスケールたるや世界規模ですので想像を絶するものがあるに違いありません。しかもコスト的にも既成のメディアよりも圧倒的に有利なはずです。



 今僕たちが聞いたら笑ってしまいそうになりますが、アメリカで最初にテレビで野球中継が検討されたとき、


 テレビで放映したら球場に来てもらえなくなるのではないか?


 と大問題になったそうです。結果的にその後を知っている我々にしてはお笑いでしかありません。つまりは、テレビで放映される方が大衆の興味を引き、球場に足を運ぶ人も増えたのは言うまでもありません。



 既成のメディアも著作権の方にばかり目を奪われずに、その広告効果をうまく活用できるビジネスモデルの構築の方に力を注ぐべきではないでしょうか・・・。



 著作権問題のゴタゴタが片付く数年後には、きっとYouTubeも著作権の問題よりもその広告媒体としての絶大な効果の方に力点が置かれているに違いないと予測しています。





 個人的にはYouTubeで訴訟問題の話を聞くたびに、注目しつつも冷ややかに見守っている次第です。





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